シネマにっき。

とても個人的な映画の感想を書きます。

何をするかではない。何のためにするかだ。~映画【アイアンマン】

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ディズニーツムツムならぬマーベルツムツムを始めた旦那さんに、「面白いから見よう。これに出てくる女の人、きっとあなた好きだと思うよ」と言われ、鑑賞しました。見始めて、あっ これ前にみた、と思い出しましたが、大抵そうなのですが内容はほとんど覚えていなかったので、再び楽しんで見ることができました。ちなみに旦那さんが言っていた女の人というのはグウィネス・パルトロー演じるペッパー・ポッツのことで、以前自分ひとりで見た時はたしかにグウィネス・パルトローが気になって見たと思うので、旦那さんの私の好みに対する感覚はさすが当たっているのでした(@_@)びっくり。やせているしキャラが似ているとでもいうのでしょうか?わかりません。

私がこの映画を見て思ったことは、「何をするかではなく、何のためにするか」だな、ということです。

主人公のトニー・スタークは、兵器製造業者です。例えば新しいモノを世の中に作り出した時、「作り出した」ことそのものは、何の影響ももたない。作り出したモノや、生まれた技術そのものは、ただ生まれてそこにあるにすぎないから。それを「何のために、どうするか」を決めて実行する者次第である。

そんなことは当たり前に言い古されていることで、核もバイオテクノロジーも、悪になるのは使い方を決める人間次第であることは誰もがわかっている。そして、人間が決めるとは言ってもそれは決して自分ではなく、遠く離れた上の人というか悪い人というか頭のいい人というかそんな感じの人であり、自分は、教科書的に言えば、良識を持ち知識を深めたり選挙で投票したりすることが、できることでありつとめでもある。

わたしが思ったのは、そうではなくて、例えば日常の仕事であっても、「何のためにするか」だなということです。

ただ「生活費を稼ぐために耐えて頑張る」という人、「なるべく楽にストレスなく仕事をしたい」という人、「成長して素敵な人になっていきたい」という人、「ステータスになるような仕事に就いていたい」という人・・・様々だと思う。

また、同じ仕事をしていても、コピーなどの雑用やお茶くみをしていても、「なんのためにその雑務をしているのか」ということへの意識は、様々だと思う。

そういう日常レベルでの「何のためにしているのか」が、さらに大きな世の中レベルの「何のためにするのか」につながっていくような気がする。一人ひとりが日常レベルで意識していることのグレードの高さ・低さが集まって、世の中の意識のグレードの高さ・低さになるのだと思う。

「何をするか」にはもしかしたら制約があるかもしれないけれど、私たちの頭の中、思考には、何の制約もないのだから、「何を意識するか」「何のためにするか」は、もっとビッグだったりぶっ飛んでいてもいい。それを忘れないことは案外難しいけれど、それが何よりも大切なのだと思いました。